うろ覚えの雑感

何でも適当に書いていくブログ

転職して1年

気がついたら1年経ってた

2016年の5月末に前勤めていた会社を退職して2016年6月、今務めている会社へ転職。

それから気がついたらもう2017年7月の半ば過ぎてた。

なんという はやさだ

ということで、ここ1年で起こったことをざっくり書いてみる。

働き方

前職はSIerで現職はメーカーエンジニアです。

労働環境から

  • 前職

    • よくある客先常駐型のSIer
    • 客に左右される+無茶な見積もりだったりで定時(9〜17.5)があってないようなもの
    • マネージメントじゃないマネージメント
    • 休日出社なんて当たり前
    • 品質の低いソースコード(いわゆるコピペコードの量産)
    • 正確な見積が客の予算の都合で削られ、結局残業の嵐(結局後で集計したら自分が出した見積と同じくらいの実稼働になった)
    • 裁量のない裁量労働制(自分で仕事=現場を選べない)
    • 上限のないみなし残業(みなし残業を超えたら本来は残業代を出さなければならないのだが、出ない)
  • 現職

    • パッケージ製造、販売メーカー
    • ただのエンジニア(設計とかしてプログラム書いてとか)
    • 基本定時
    • 休日出社は1年間で0
    • 品質がめちゃくちゃ高いコード(レビューレベルも高い)
    • ある程度裁量あり
    • 残業しっかりしてる(40時間上限。超えると残業代。でもそもそも月平均10〜20の間で収まる)

こんなに違うのかと思った。やっぱり客がちゃんと見積もりできない、もしくは予算ありきの見積もりしかさせてもらえない環境は良くないのがよくわかった。

後は会社のスタンスも。みなし残業については在職中に最後まで超えた分の残業代出せよと抵抗したんだけど、結局ダメだった。違法じゃねーのとか思ってるけど、そこんとこどーなの偉い人。

残業も含めた労務管理はしっかりしてると思われる。何より出退勤をカードリーダーであることと、自動計算。今どきエクセルに手で入れる労務管理はイカンと思う。客先常駐だったらWebログインとか色々方法あるじゃん。そこんとこめっちゃ遅れてるなとすごい思う。

と、まぁ会社によって本当に全然違うのは実感した。

スキル

会社によって使うスキルとかそういうのは如実に差が出てくると思うけど、本当にそう思う。

特にSIerにいると外に出ると全然違いすぎる。

プログラムに対する考え方

1つ1つの調査に対する考え方

メーカーと客先とで全然違いすぎるところはギャップ。

プログラムに関しては腕前による。後センス。

ここ1年で自分にセンスがないことがよくわかってきたところは辛い。一人暮らししてると自学習する時間は取りづらいというか実質とれてないので、差は開く一方。

どっかで使えない人間になってしまうことが怖いけど、ある意味仕方のないことかもしれない。

そしたらフリーランスになるか、場合によっては出戻りで教育とかに力入れるのはいいかもなと思ってしまう。

今思うこと

転職の成否は正直わからん。

年収は正直ほとんど変わってない代わりに、これ以上上に行くのは望めるのかわからんって感じ。

3年くらいいて何も変わってないようならダメなんだろうなと思う

その代わり、労務状況は手放したくないほどいい。なにせちゃんと帰れる。夏ならまだ外が明るいうちに会社の外に出れるというだけで俺は嬉しいよ

悩みまくってる。もっと、会社の役に立っていることの実感が欲しい。必要とされていたい

ウェブログとして意味はなくていい

ブログ。

なんだか、有名になりたいとかそういう気持ちは一切なくて、ただブログの本来の意である、ウェブログとしての自分を残すということをしていたい

アクセス数。増えると気持ちいいね。

コメント、ブクマ。もらえると嬉しいね。

ソレが肥大化しすぎちゃうと今度は貰えないと切ないね。

縛られたくない。

Twitterとか別のブログとかも書いていたりするけども、ここでは本当に思ったことだけ書くのがちょうどいい。

自分なんて三十路過ぎたおっぱい好きでゲーム好きで寂しがりのおっさんなんで、面白いことなんて基本的にそんなかけないしさ。

だったら、「自分」を残しておいて、後で見返した時に何かが変わっていることに気づける

そんな場所が1つくらいあってもいいと思うんだ。

久しぶりに暗殺教室読み返した

暗殺教室 - Wikipedia

卒業という次期が近づいてきたのもあって、久しぶりに暗殺教室を読み返した。

2016年の16号。ちょうと現実世界でも春になろうかとしている時だったのを覚えている。

もう完結から1年経ったのかと思うと共に、何度見ても色々な思いを残していける良きマンガだなぁと思う。

最終巻の本編後にかかれている松井優征先生のあとがきもまた味がある。

曰く

第1話の2,3ページが最初に思い浮かんだとき、即座にその話の結末が、大きな悲しさを伴うものになると気が付きました

それと同時に、この話をまっすぐに、バランス良く、目を逸らさずに描ききることが出来たら、多くの人の心に生きる作品になるかもしれない、とも。

この最初の書き出しの2文だけで作品に掛ける思いを少しでも感じ取れるかと思う。

殺せんせーは色々な場面で生徒に「授業」をする

その時の言葉の数々はまさに「教育者」の言葉であり、他者を慮る言葉であった。

これらは(もちろん編集者の意見などもあるとは思うが)松井優征先生自身の経験からくるものであるものだとご本人があとがきに記している

人生を過ごしていると様々なことが起きる。

良いこともあれば悪いこともある、信じたものが結実するときもあれば、裏切られることもある。

全部21巻、180話の中で様々なことが起きる。主人公の渚は単純な喧嘩などの戦闘力に優れていなくても、殺し屋としての能力はクラスで主席だ。

とある視点で見た時に突出してなくても異なる角度で見れば突出することだってある。

逆に優れていすぎてもうまく行かないことだってある

それら全ての短い人生にある苦難と喜びを通して、何かを伝えていくようなそんな作品だと思っている。

本誌で読んでいた時、最後に殺せんせーとお別れする回。

まさに暗殺教室が結実する回だ。

あそこは本当に暗殺教室としての卒業式だった。

烏丸先生が唯一、殺せんせーの名前を呼び、殺せんせーは最後の出席を取り、主席(渚)によって天へと送り出される。

何かを成してその対価と結末が別れであっても、そこに過ごした時間は残って思い出として結実し一生のものへと昇華されるそんな一瞬。

コミックスではその後の見開きで月で雪村と再会を果たすような描写もある

結局、全て殺せんせーを通して、人の絆、人生の理不尽、そういったものを垣間見せられながらどのように生きるかを考えさせられる

そんな良作であった。

この世界の片隅に を見てきた

前から気になっていたので、見てきた。

映画終わった直後はなぜだろう、とてもなぜか言葉に出来ない自分でもよくわからない感情と一緒に外へ出た。

舞台は広島。呉。

昭和初期によくある縁談から結婚してお嫁にはいって・・・そんなすずさんの日常と戦争へ向かう日本の話。

とてもいい映画だった。なのに終わった後になぜかとても胸が苦しくなった。今も苦しい

名前のつけられない感情。これほど心に何かを残すような映画も珍しいような気もしている

とても、優しくて生きている世界の話。

何かを得て失って、それでも前へ、と思わせるようなそんな優しさがあった映画だと思う

ワイルド わたしの中の獣を見てきました

www.finefilms.co.jp

ツィッターでフォロワーさんが呟いていたので少し気になって、トレーラーを見たらもの凄い価値観を揺さぶられそうな映画だと感じて即決で見てきました。

ちょうど本日公開ということで、また劇場でやっていない地域もあるので、バレありで続きで書いていきます。

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