うろ覚えの雑感

何でも適当に書いていくブログ

久しぶりに暗殺教室読み返した

暗殺教室 - Wikipedia

卒業という次期が近づいてきたのもあって、久しぶりに暗殺教室を読み返した。

2016年の16号。ちょうと現実世界でも春になろうかとしている時だったのを覚えている。

もう完結から1年経ったのかと思うと共に、何度見ても色々な思いを残していける良きマンガだなぁと思う。

最終巻の本編後にかかれている松井優征先生のあとがきもまた味がある。

曰く

第1話の2,3ページが最初に思い浮かんだとき、即座にその話の結末が、大きな悲しさを伴うものになると気が付きました

それと同時に、この話をまっすぐに、バランス良く、目を逸らさずに描ききることが出来たら、多くの人の心に生きる作品になるかもしれない、とも。

この最初の書き出しの2文だけで作品に掛ける思いを少しでも感じ取れるかと思う。

殺せんせーは色々な場面で生徒に「授業」をする

その時の言葉の数々はまさに「教育者」の言葉であり、他者を慮る言葉であった。

これらは(もちろん編集者の意見などもあるとは思うが)松井優征先生自身の経験からくるものであるものだとご本人があとがきに記している

人生を過ごしていると様々なことが起きる。

良いこともあれば悪いこともある、信じたものが結実するときもあれば、裏切られることもある。

全部21巻、180話の中で様々なことが起きる。主人公の渚は単純な喧嘩などの戦闘力に優れていなくても、殺し屋としての能力はクラスで主席だ。

とある視点で見た時に突出してなくても異なる角度で見れば突出することだってある。

逆に優れていすぎてもうまく行かないことだってある

それら全ての短い人生にある苦難と喜びを通して、何かを伝えていくようなそんな作品だと思っている。

本誌で読んでいた時、最後に殺せんせーとお別れする回。

まさに暗殺教室が結実する回だ。

あそこは本当に暗殺教室としての卒業式だった。

烏丸先生が唯一、殺せんせーの名前を呼び、殺せんせーは最後の出席を取り、主席(渚)によって天へと送り出される。

何かを成してその対価と結末が別れであっても、そこに過ごした時間は残って思い出として結実し一生のものへと昇華されるそんな一瞬。

コミックスではその後の見開きで月で雪村と再会を果たすような描写もある

結局、全て殺せんせーを通して、人の絆、人生の理不尽、そういったものを垣間見せられながらどのように生きるかを考えさせられる

そんな良作であった。

この世界の片隅に を見てきた

前から気になっていたので、見てきた。

映画終わった直後はなぜだろう、とてもなぜか言葉に出来ない自分でもよくわからない感情と一緒に外へ出た。

舞台は広島。呉。

昭和初期によくある縁談から結婚してお嫁にはいって・・・そんなすずさんの日常と戦争へ向かう日本の話。

とてもいい映画だった。なのに終わった後になぜかとても胸が苦しくなった。今も苦しい

名前のつけられない感情。これほど心に何かを残すような映画も珍しいような気もしている

とても、優しくて生きている世界の話。

何かを得て失って、それでも前へ、と思わせるようなそんな優しさがあった映画だと思う

色々ありすぎた2016年

自分の肉体になんか起きるのが厄年ならば、人間関係もとい恋人関係で色々ありすぎた1年のことはなんと呼べばいいのだろうか。

具体的に起きたこと

2年付き合った彼女と8月に別れ10月に付き合い始めた遠距離の彼女がいるのだが、そちらから別れ話を切り出された年末である。

Googleカレンダーに予定を全て書き込んでいるので、それを見返せば1年間のうち何が起きたかなんとなくわかるようになっていて、先程見返していた。

ざっくりとした今年のまとめもしておこう

上半期

1月~8月

まず人生の転機。転職活動を再開して良い企業に巡り会えた。そこに転職することを決める。3月からの2ヶ月の間の出来事である。

前職での立場を全て捨ててほぼ1からに近い状態での転職。そこから少ししてから彼女とは喧嘩は増え、別れ話をし別れた

カレンダーを見返すと、漫画、ブルーレイ、ライブへの参加、オフ会への参加、家でやったパーティの数とか月に1~2は遊んでいる模様。

前半はむしろ上記でまとまるな・・・

下半期

9月~12月

正直いう。遊びすぎた。毎週のように遊びに出かけていた。そりゃ自炊もしなくなるわ。

別れた直後。胃腸炎にかかり、いくつかの約束をふいにしてしまった以外、4ヶ月もの間休みをまともにとっていないようだ。

何とも言えない。

冒頭に戻ると

で、だ。

真剣に色々考えてて向こうに合わせる形が多くなるかなと思いつつ、そもそもいろんなことが不安になってたんだけどそれがまさしく的中していた気がする。

短い期間でも考えた時間の分だけダメージはあるんだな、と久しぶりに刺さってる。眠れなくなるくらいには

遠距離には向き不向きはあるよな。そりゃそうだ。

二人で決めていくことを怠ったかなと。おそらく結論は来月の半ばくらいに確定に近い状態にしてまた向き合うことになるんだろうけど、まぁ言われたことを反芻してもきっと無理なんだろう

少し、糸が切れてしまったかのような状態でこれを書いている。公開するかどうかはまだわからない。もし公開する気になったら見直して追記することにしよう。

これを書いた後、飲みへ出た

2件ほどはしご。

1件目、着くなりめちゃくちゃ涙が出てきてしまった。

久しぶりに会う連中ばかりだったけど、暖かかった。そして馬鹿だった。

2件目

本当に、俺のことを考えてくれた。聞いてくれた。本当に誰にも話したことのないことを初めて話した。

自己矛盾の塊で、常に何かしらしていないと落ち着かない自分の性質

過去からの鎖で縛られてうまく開けれない感情の蓋

そういうのが、全て、表に出てきて感情の蓋があいた。

今日1日でたぶん1年分くらい泣いたんじゃないかなと思うくらい自然と涙が出てくる。自分のなかのネガティブな過ごしてきた過程は普通の一般過程に生まれて育った人には到底理解ができないものだとわかっているからこそ、理解されたいのではなく、ただただ聞いてほしいという感情になる

理解されないけど聞いて欲しい とか 一人暮らしなんだけど寂しい

みたいな自己矛盾を常に抱え続けているのを曝け出していい場所はとても貴著だ。

望んでも手に入らないくらいに貴重で、自分にとっては宝物のようだ。

2017年が良い年になればいいな。そう願ってやまない。

ワイルド わたしの中の獣を見てきました

www.finefilms.co.jp

ツィッターでフォロワーさんが呟いていたので少し気になって、トレーラーを見たらもの凄い価値観を揺さぶられそうな映画だと感じて即決で見てきました。

ちょうど本日公開ということで、また劇場でやっていない地域もあるので、バレありで続きで書いていきます。

続きを読む

自分にイライラしてしまう時

単純ミスってあるじゃないですか。単純ミス。

やらかすと切ないような恥ずかしいような気持ちになるあれ

プログラムを書いていると特にスペルミスとか結構やるんだけど、それが積み重なって自分に対してのダメ出しの許容量を超えてしまって、かなりイライラしてしまったんです。

仕事に対して、完全に勉強してレベル上げるフェーズなので、それ自体はもう頑張って追いつこうみたいな気持ちでやってはいるんですが、こう単純ミスを防ぐのって自分なんですよ。完全に自分。

まだまだ色々足りてないのは自覚している。レビューで指摘貰ってもまだ納得感がある。(時々、え、このチケットでやらなくてよくね?とは思うけど雑食よろしく、たくさんの経験を積み上げるためにもやってみてる・・・)

それでもさ、単純ミス・スペルミスとかそういうのをやってしまうとさコストがかさむのよ。2倍に。

見てもらう前に、5分・・いや3分でいいから見るだけで防げるのが見なかったがゆえに10分とか15分消費する。これの積み重ねがもったいない。

と頭でわかっているのにミスるわけです。

何度か1日でやらかすと本当に自分にイライラする。

ああすればよかったこうすればよかったがすぐ頭を持ち上げて、思考の邪魔をする。

過去に戻れないのに過去に引っ張られるとその分前に進めなくて結局もったいないのにね。

そういう時に思いっきり

あーーーーーーーーーーーーー

って叫びだしたく成る。

ふがいない自分に

できているようで出来ていない自分に

話を聞くのは難しいよねって話

www.midoriyakuhin.com

今回も記事から。

喋ることは簡単だけど難しい

聞くことも簡単だけど難しい

自分はそう思っている。

喋ることは、好きなことを好きなだけ喋ってる分にはいいかもしれない。

でも何かを伝える為に喋るのは案外難しい

理路整然と話しているつもりでも脇道にそれることがよくある。好きなものを話すときって案外そんなものなのかもしれないけれど、深く入ろうとすればするほど相手も同じレベルの知識や深さが求められていく。

中々そこまで至らないから難しい。

あと、初めて会う人や久しぶりでも話したことが少ない人に対してもどのような話題を振ればいいのかいつも悩む。

悩んでいるうちに機会損失してしまうわけだけど、これは自分だけではないと思っている。

話して見たことが相手の琴線に触れたりした時に無用な衝突をしてしまわないかを心配してしまう。

大抵の場合取り越し苦労なのだけれども(苦笑)

さて、本題の聞く方。

何でもそうなのだけど、「聞く」という行為だけであれば簡単だ。街中に出てみればいい。そこは雑音も含めて話は聞こえてくるだろう。

今回の記事では傾聴というキーワードだ。

主に1:1やカウンセリング的な話に近いとは思うのだけれど、話を聞いて欲しいだけの場合、語りたい場合でやはり違うのだと思う。

相槌は必要だと思うし、話に対して的確な質問や展望で返せば盛り上がるだろう。

技術もそうなんだけど、やはり生きてきた足跡も大事なんだろうなぁと思う。

とりとめのない文章をざーっと書くのが最近楽でしょうがないから、散文で失礼。

共感して傾けて、そこに集中して聞いてみるのは大事だ。やってみよう。

ストレスと上手く泣けないことについて

www.midoriyakuhin.com

を読んだ雑感と自分のこと。

自分はどのタイプなのか

照らし合わせるまでもなく

②落ち込みやすく劣等感の高い、自己否定タイプ

だな、と。

何に対しても自信がないから去勢を張ってしまうし、気がつくとネガティブな方向へ思考が飛んで行く事がよくある。

前にもこんな感じの記事を読んだ時に、自己否定をしないところから始めるべきだと思い続けてきた。

この記事中の

このタイプはまず自己否定をなくす事が先決です。それには小さな事でも自分を褒めるようにしてください。そのためには、些細な事でも「良くできた」とこころの中でつぶやくようにしてみてください。自分を褒める事はけっして悪い事ではないことをまず受け入れてみてください。

それでも自己否定を止められない方には、「”止まれ”サインテクニック」をお勧めします。これは自己否定を始めた瞬間に、道路標識の赤い止まれサインを思い浮かべ、その時点で「~するべきだった」などの自己否定的な考えをやめてしまうテクニックです。癖になった否定の考えは何回も浮かんでくるのでその都度止めてください。自己否定からは一切良い結果は生まれてきません。

前者はともかく後者のテクニックは初めて見た。結構使えるのでこれはぜひ試してみて欲しい。

ストレスが溜まると涙する

これはよく言われるのだが、自分にはあんまり当てはまっていない。

というよりも、うまく泣けない人間なのだ。

人は幼少期~思春期に至る部分で大半の人格形成が成されるというのはよく聞くがそこで泣くことに対して相当ネガティブになっている。

例えばアニメ「フランダースの犬」などを子供の頃に見た時のこと。

ラストのシーンでネロとフランダースが寄り添い天使に天国へ案内されるシーン。あれを見た時幼い自分は大変泣いたのだが、それを家族には笑われた経験がある。

その後フォローがあればいいんだが、大変まずいことに「馬鹿にしたような笑い」やら言葉を掛けられている

そういうことが何度もあり、泣くことに対してネガティブになっている。

最近、そのあたりの呪縛を感じることが多くてもがくんだけど、中々過去には勝てなくて苦労する。

うまく泣くために、好きなものをどんどんやっていくのが近道かなぁと思う。

本当に乱雑な文章になってしまったw